クズの主張

本や音楽の紹介と、クズの主張(ё) 22歳某書店員男性のブログ(ё)

【注意】忙しい人は読まないでください。

どうも川島はなぢです。

とかいう定型文は今日はいらない。

あんなタイトルにしたのは、なんの価値もない内容だからだ。今までは、砂の数ほど溢れかえったブログ論を読み漁ってド素人なりに参考にして、少しでも価値のある゛記事゛に仕上げようとしてきた。

でも、今日はもう違う。

正直言って、今書きながら、どんな所に着地させるのか、なんのイメージもない。ただ、叫びたくなったから、書いている。

 

ブログを開設して1ヶ月強で、たったの、10記事。とにかく記事数を積み重ねることが大切だと知っていながら、10記事。

 

使い古された比喩表現で言い表すならば、敷かれたレールの上を走る人生を降りたかった。 そんな一心で、会社を辞めてから3ヶ月が経った。

自分が何者なのかもわからないまま、自分だからこそできることがしたいなどと望んで、

ブログを始めた。自分の感性を生かしたい、感情を形にしたい、などと夢見て、小説を書いた。これはなんとか一作書き上げて、とある純文学系の新人賞に応募をした。バイトをしながらブログを頑張って、稼ごう、などと目論んだ。

遠くの景色を見て走り出した。靴を履くことさえも忘れて。

足元は、針地獄だった。裸足で針地獄の上を歩いても平気な人もいるらしいが、僕は違った。気づいたら、就活していた。

 

好きな事を仕事にする。とかいう、夢を叶えた人たちの手垢でベトベトの言葉。

頑固にこびりついたそれは簡単には落とせないので今の僕なりに噛み砕くなら、それは、

仕事になるまで続ける

ということなのかもしれない。好きで居続けることの難しさを、体感したのである。

無い物ねだり発作に、特効薬はない。無い物ねだりをしない人間でありたいけれどそれは難しいし、果たしてそれは人間といえるのだろうか。

 

無い物ねだりの成れの果てとしての就活。

 

別にブログを書くことも小説を書くことも、働きながらでも可能なはず。

 

ではそもそも、なぜ会社を辞めたのか。

 

 

 

 

 

僕は今さらになって、大きな物事や既存の物事に中指を立てたくて仕方ないのである。

 

学生時代に、制服のボタンを開け、スカートを折り、青春を謳歌してきた種族が今、続々と本能にしたがって社会に適合している。

20歳を越えたあたりから今までの2年間、それをひしひしと感じてきた。

何の疑念も抱かずに、あるいは疑念を抱いてもそれをしっかりと心の奥に閉じ込めて蓋をして、彼らはとうとう常識を語り始める歳になった。

 

ほんとにそうか?

そもそも普通ってなんだ。

 

などと、今さらになって社会に噛み付いては弾き返され、歯は欠け、心も折れかけ、

ただ厭世的になって御託を並べる弱虫。

 

 

いつか僕も、強い虫になるのだろうか。

普通に働いて、普通の人と結婚して普通に家を建てて普通にミニバンに乗って普通の家庭を築くのだろうか。

 

良い悪いは別として、

その時彼はもう、小説なんて、最初の一行も書けないだろう。

弱いから、みんなとは違った手段で、諦めずに自分を主張したいのである。厭世的だから、書けるのである。

僕の書く小説なんて、所詮は御託の塊である。御託を、物語風に並べかえただけの代物である。

結局は自分の心の中の叫びを、誰かにわかってもらいたい。その気持ちだけに生かされているといっても、過言ではないのだ。

 

 

 

そんな弱虫のこの叫びには、なんの価値もないかもしれない。誰の役にもたたないかもしれない。言わば、海に漂うメッセージボトルである。誰が読んでくれるかも、誰に読んでほしいのかもわからない、叫び。

それでも叫び続けたいと思う、22の夜です。

 

 

 

 

もし一人でも、ここまで読んでくれた人がいるのなら、僕はあなたに生かされている。

 

そしてそんなあなたなら、

今度は僕が生かしてあげることができるのかもしれない。

 

とある純文学系の新人賞に応募した作品は、落選した暁にはなんらかの形で公開します。もちろん無料で。その時は是非、のぞいてみてね。

 

 

最後まで読んでくれて、ありがとう。