ひねくれ者のあなたへ。つらい時の逃げ場として。
どうも、川島はなぢです。
最近、精神的に不健康な日が続き、更新する気になれずにいました。
読書のペースも落ちました。
タイトルだけは、偉そうな言葉を並べてますが、自分に言い聞かせる意味合いが強いです…
だから今日の記事は誰の役にも立たないかもしれません。記事というよりもはや日記。いや、叫び? 呟き?
それでもほんの1ミクロンでもためになるような書き方を意識します…
ざっっっっくり言うと、こんな内容です
- 綺麗事は、もううんざり
- つらいときの考え方
- 元気とは、明るいこととは限らない
- 元気とは、「気」を「元」に戻すこと
- 生きる意味
この手の内容を諭すブログや本なんて腐るほど読んできたし、どれも同じようなこと言ってて響かない。
それでもたまーーーに、ひねくれ者の自分にも響く内容に、出会えることがある。
それらを結集して、僕なりの考えが頭にぽっと浮かぶ。
それをシェアしたいと思えるくらいの善良な心は、まだ僕にも残ってるみたいです。
永遠なんてない
この世に、永遠なんてないらしいです。
人は生まれたら必ず死んで、肉体は無くなる。
好きだったあの人も、いつか他の誰かを好きになってセックスして、そんでもって死ぬ。
可愛がってきたペットも、うざかった先生も、こっそりお小遣いくれた親戚の人も同じ。その人のことを知っている人も、いつか誰もいなくなる。この星もいつかは無くなる。
すべては移ろいゆく。諸行無常ってやつ。
ダカラ辛いこともいつかは終わるよ!(^-^)
明けない夜は無いし止まない雨はn
そんな綺麗事は言いません。
まず思ったのは、
永遠の幸福なんてないってこと。
だからそれを望むのはやめようってこと。
てか永遠に続いたら、それは果たして幸福なのでしょうか?
人間は愚かだから、永遠に続く事柄には幸福を感じられないんじゃないか。
なにもかも、いつかは終わるって薄々わかってるから、だからこそまだ終わってない今に幸せを感じられるんじゃないか。
そう考えると、幸せを失う不安に囚われる時間が、少しは減る気がします。
じゃあ、不幸は?
たしかに、不幸も永遠には続かない。
便所の落書き並みに心に響かない、使い古された言葉で言うなら、止まない雨はn…(いか省略)
でも、不幸が永遠に続くような気がしてしまう精神状態は、不幸だ。
不幸が終わるまで、(あるいは、これは不幸ではないと捉えられるようになるまで)耐えられない精神状態は、辛い。
でもそれは弱さじゃない
もしそれを弱さだとするなら、人間はみんな弱い。
そんでもって弱さなんてのは、強さと比べたときの、相対的な概念。
つまり、みんな弱いから、気にする必要なし。
それなのに気になってしまうのは、弱さを隠すのが上手い大人がいっぱいいるから。
(みーんな仮面被ってて生きづらい!
って思ったことがある人は、ぜひこちらの記事もどうぞ
太宰治|人間失格 を読んでほしい理由 - 感動のおすそわけ)
人間は愚かだから、
無い物ねだりをすぐ始める。精神的に弱ると、すぐ始める。
だからどこで何をしていても、結局辛さからは逃れられない。
20才くらいまでに「自分」を形作って、
でも20才くらいからは、その「自分」の形の尖った部分を削って、丸くなることが求められる。(しまいには中年太りで物理的にも丸くなる)それで弱って、得意の無い物ねだりを始める。
かといって、尖ったまま生きていくのもつらい。
好きなことを仕事にっ!なんて、できたとしても結局、
「自分はこう思う、こうやりたい」
ってのと、
「社会から需要があって、金になる物・事」
っていうのとのギャップに苦しむ時が必ず来る。
だから生きる目的として仕事を掲げるのも、違う気がしてくる。
仕事はどうしても、社会と切り離せないから。どうしても諦めや適合が求められるから。
なんだかんだ「食う」とか「寝る」ために生きてるんだよ
とか言う人もいる。
でもそれは生きるためにする事であって、そのために生きてるのかって考えると、違う。
目的より手段が先行すると、虚しくなって、ブレて、迷う時が来てしまう。
じゃあもうなんのために生きてくんだ
結局、
セックスしたくて生きてるんじゃね?
ってことになる。冗談抜きで。
結局あらかじめ用意された"生きる目的"なんて、子孫を残すことなんじゃないかと。
でもそれではあまりにも、短絡的すぎる。
同性愛者や、不妊に悩む人は?
ってことになってしまう。
僕は、同性愛も、子供を持たない選択や結婚をしない選択をする人も、もちろん不妊に悩む人も、
否定する気はいっさいありません。
多くの人に当てはまる、セックスとか子孫などという言い方では、少数派の人に当てはまらなくなってしまう。
じゃあ、すべての人に当てはまる言い方…
それは結局、結局のところ…
愛
愛のために、生きてる。
愛し愛されるために。
もし完璧な人間がこの世にいるとしたら、彼は孤独だと思います。
自分の才能や感性だけで価値を生み出して生きていく天才も、孤独を覚悟する必要があるのかもしれません。
ほとんどの人は、そんな覚悟はできない。
最初は覚悟したつもりでも、折れる。
少数派は少数派どうしで、結局は群れる。
人間は所詮、一人では生きていけないから。
ところでみなさんは、「元気」とはどんな状態をイメージしますか?
笑顔で、誰かと、ワイワイはしゃいで走り回って…
みたいなイメージでしょうか。
僕は昔、こんな風に教わりました。
元気とは、明るく振る舞うことじゃない、元気とは、「気」を「元」に戻すこと。
この言葉を思い出すと、少し気が楽になるのです。
不幸がいつまでも続くように思える時、
不幸が終わるまで耐えられそうにない時、
無い物ねだりモードに、入ってしまうとき、
明るい友達を真似て無理する必要はないと思います。(どうせそいつも仮面かぶってるし)
内気な自分を好きになれない人に読んでほしい本があります - 感動のおすそわけ
いかに、「気」を「元」に戻せるか。
そもそも自分の正常運転の状態って、どんな状態なのか。どんな佇まいなのか。
どういうときに、自分の「気」は元の状態から離れて、狂ってしまうのか
そして自分の場合、どうすれば、「気」が「元」に戻るのか。
それをよく知ることが大切なんじゃないかと思います。
どうせ死ぬまで、自分の心とは付き合っていくんだから。
参考までに、僕が具体的にどんなことをして「気」を「元」に戻すのか挙げようと思いましたが、長くなっちゃうので次回にします。
まとめ
- 幸せなときも不幸なときも、永遠なんてないことを思い出す
- それでも不幸に耐えられないときは、セックスする(オナニーでもいいと思う)
- 自分を知ることで、少し気が楽になる。
最後まで読んでくれてありがとう。