クズの主張

本や音楽の紹介と、クズの主張(ё) 22歳某書店員男性のブログ(ё)

ひねくれ者のあなたへ。つらい時の逃げ場として。

どうも、川島はなぢです。

 

最近、精神的に不健康な日が続き、更新する気になれずにいました。

読書のペースも落ちました。

 

タイトルだけは、偉そうな言葉を並べてますが、自分に言い聞かせる意味合いが強いです…

だから今日の記事は誰の役にも立たないかもしれません。記事というよりもはや日記。いや、叫び? 呟き?

それでもほんの1ミクロンでもためになるような書き方を意識します…

 

ざっっっっくり言うと、こんな内容です

  • 綺麗事は、もううんざり
  • つらいときの考え方
  • 元気とは、明るいこととは限らない
  • 元気とは、「気」を「元」に戻すこと
  • 生きる意味

 

 

この手の内容を諭すブログや本なんて腐るほど読んできたし、どれも同じようなこと言ってて響かない。

それでもたまーーーに、ひねくれ者の自分にも響く内容に、出会えることがある。

それらを結集して、僕なりの考えが頭にぽっと浮かぶ

それをシェアしたいと思えるくらいの善良な心は、まだ僕にも残ってるみたいです。

 

 

永遠なんてない

この世に、永遠なんてないらしいです。

人は生まれたら必ず死んで、肉体は無くなる。

好きだったあの人も、いつか他の誰かを好きになってセックスして、そんでもって死ぬ。

可愛がってきたペットも、うざかった先生も、こっそりお小遣いくれた親戚の人も同じ。その人のことを知っている人も、いつか誰もいなくなる。この星もいつかは無くなる。

すべては移ろいゆく。諸行無常ってやつ。

 

ダカラ辛いこともいつかは終わるよ!(^-^)

明けない夜は無いし止まない雨はn

 

 

そんな綺麗事は言いません。

 

まず思ったのは、

永遠の幸福なんてないってこと。

だからそれを望むのはやめようってこと。

 

てか永遠に続いたら、それは果たして幸福なのでしょうか?

人間は愚かだから、永遠に続く事柄には幸福を感じられないんじゃないか。

なにもかも、いつかは終わるって薄々わかってるから、だからこそまだ終わってない今に幸せを感じられるんじゃないか。

そう考えると、幸せを失う不安に囚われる時間が、少しは減る気がします。

 

じゃあ、不幸は?

 

たしかに、不幸も永遠には続かない。

便所の落書き並みに心に響かない、使い古された言葉で言うなら、止まない雨はn…(いか省略)

 

 

でも、不幸が永遠に続くような気がしてしまう精神状態は、不幸だ。

不幸が終わるまで、(あるいは、これは不幸ではないと捉えられるようになるまで)耐えられない精神状態は、辛い。

 
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でもそれは弱さじゃない

もしそれを弱さだとするなら、人間はみんな弱い。

そんでもって弱さなんてのは、強さと比べたときの、相対的な概念。

 

つまり、みんな弱いから、気にする必要なし。

それなのに気になってしまうのは、弱さを隠すのが上手い大人がいっぱいいるから。

(みーんな仮面被ってて生きづらい!

って思ったことがある人は、ぜひこちらの記事もどうぞ

太宰治|人間失格 を読んでほしい理由 - 感動のおすそわけ)

 

 

 人間は愚かだから、

無い物ねだりをすぐ始める。精神的に弱ると、すぐ始める。

だからどこで何をしていても、結局辛さからは逃れられない。

20才くらいまでに「自分」を形作って、

でも20才くらいからは、その「自分」の形の尖った部分を削って、丸くなることが求められる。(しまいには中年太りで物理的にも丸くなる)それで弱って、得意の無い物ねだりを始める。

かといって、尖ったまま生きていくのもつらい。

好きなことを仕事にっ!なんて、できたとしても結局、

「自分はこう思う、こうやりたい」

ってのと、

「社会から需要があって、金になる物・事」

っていうのとのギャップに苦しむ時が必ず来る。

だから生きる目的として仕事を掲げるのも、違う気がしてくる。

 仕事はどうしても、社会と切り離せないから。どうしても諦めや適合が求められるから。

 

なんだかんだ「食う」とか「寝る」ために生きてるんだよ

とか言う人もいる。 

でもそれは生きるためにする事であって、そのために生きてるのかって考えると、違う。

目的より手段が先行すると、虚しくなって、ブレて、迷う時が来てしまう。

 

 

じゃあもうなんのために生きてくんだ

 

 

 

結局、

セックスしたくて生きてるんじゃね?

ってことになる。冗談抜きで。

結局あらかじめ用意された"生きる目的"なんて、子孫を残すことなんじゃないかと。

 

でもそれではあまりにも、短絡的すぎる。

 

同性愛者や、不妊に悩む人は?

ってことになってしまう。

 

僕は、同性愛も、子供を持たない選択や結婚をしない選択をする人も、もちろん不妊に悩む人も、

否定する気はいっさいありません。

 

多くの人に当てはまる、セックスとか子孫などという言い方では、少数派の人に当てはまらなくなってしまう。

 

 

じゃあ、すべての人に当てはまる言い方…

それは結局、結局のところ…

愛のために、生きてる。

愛し愛されるために。

 

 

 

もし完璧な人間がこの世にいるとしたら、彼は孤独だと思います。

 

自分の才能や感性だけで価値を生み出して生きていく天才も、孤独を覚悟する必要があるのかもしれません。

 

ほとんどの人は、そんな覚悟はできない。

最初は覚悟したつもりでも、折れる。

 

少数派は少数派どうしで、結局は群れる。

人間は所詮、一人では生きていけないから。

 

 

 

ところでみなさんは、「元気」とはどんな状態をイメージしますか?

 

笑顔で、誰かと、ワイワイはしゃいで走り回って… 

 

みたいなイメージでしょうか。

 

僕は昔、こんな風に教わりました。

元気とは、明るく振る舞うことじゃない、元気とは、「気」を「元」に戻すこと。

 

 

この言葉を思い出すと、少し気が楽になるのです。

 

 

不幸がいつまでも続くように思える時、

不幸が終わるまで耐えられそうにない時、

無い物ねだりモードに、入ってしまうとき、

 

明るい友達を真似て無理する必要はないと思います。(どうせそいつも仮面かぶってるし)

 内気な自分を好きになれない人に読んでほしい本があります - 感動のおすそわけ

 

いかに、「気」を「元」に戻せるか。

そもそも自分の正常運転の状態って、どんな状態なのか。どんな佇まいなのか。

 

どういうときに、自分の「気」は元の状態から離れて、狂ってしまうのか

そして自分の場合、どうすれば、「気」が「元」に戻るのか。

 

それをよく知ることが大切なんじゃないかと思います。

 

 

どうせ死ぬまで、自分の心とは付き合っていくんだから。

 

 

参考までに、僕が具体的にどんなことをして「気」を「元」に戻すのか挙げようと思いましたが、長くなっちゃうので次回にします。

 

 

まとめ 

  • 幸せなときも不幸なときも、永遠なんてないことを思い出す
  • それでも不幸に耐えられないときは、セックスする(オナニーでもいいと思う)
  • 自分を知ることで、少し気が楽になる。

 

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。